はいさい!てんしょうです(^ ^)
今回は、沖縄県中部のうるま市にある『うるま市立石川歴史民俗資料館』を紹介します。


【博物館基本情報】
開館時間:9時〜17時(入館は16時半まで)
休 館 日:月曜日(月曜が公休日の場合はその翌日)
所要時間:40分〜60分
観 覧 料:無料
サンエー石川シティの向かいにある当博物館ですが、
道路沿いの表と地下にそれぞれ駐車場があります。
ちょうど、表の駐車場を係の方がお掃除してくれていました。お疲れ様です^ ^


1階は私立図書館で、歴史民俗資料館は2階にあります。

この日は、企画展として「手記が語る戦争の記憶〜サイパン島での暮らし〜」という展示がありました。【企画展期間:2022年3月8日(火)〜4月24日(金)】
サイパン島の収容所内で綴られた個人の手記より、サイパン島での生活や孤児院での様子などを、写真資料や解説パネルなどで紹介していました。
サイパン島:現在はアメリカの自治領であるが、1920年〜1945年までは、国際連盟による日本の委任統治領となっていた。当時30,000人近くの日本人が住んでおり、第二次世界大戦において、日本軍と米軍の戦闘が繰り広げられた(サイパンの戦い・1944/06/15〜07/09)。
特に、終戦後の収容所や孤児院での生活を子ども目線と大人目線の証言で比較していた展示があり、
立場や見る視点が変わるとこんなに捉え方が変わるものなんだなと気づかされました。

常設展について、細かい部分まで紹介することができないので、特にお伝えしたい3つのトピックスをご紹介します。
戦後復興の立役者”小那覇舞天”
当博物館には、うるま市のイメージキャラクターとしても有名な”小那覇舞天”(本名:全孝)さんについての展示があります。

戦後復興の苦しい時期に、人々の失われた心、笑顔を取り戻すために立ち上がった人物で、
僕の曽祖父にあたる方です。
沖縄のチャップリンと呼ばれ、沖縄の伝統芸能の保存や普及に努め、沖縄芸能の礎を築いた方ですが、
実は本業は歯科医師で、嘉手納町に歯科医院を開業して、地域医療に従事していました。
その後、沖縄戦を境に、現在の石川市に移り住んで沖縄の悲惨な地上戦を経験したようです。
戦後の沖縄は、家族や大切な人を失った人々が悲しみに暮れていました。
そんな時に、弟子の照屋林助さんと一緒に「ヌチヌスージサビラ(命のお祝いをしましょう)」と言って
生きる希望を失っている子供達の家を中心に回ったそうです。
もちろん初めは、周りからは「不謹慎だ」と言って追い出されたり、顰蹙(ひんしゅく)を買うこともあったようですが、「生き残った人がいつまでも悲しみに暮れていてはいけない。生き残ったことを喜びましょう」という信念のもと、人々に笑いを届け続けました。
三線に乗せて世相を風刺する漫談を得意としていたようで、舞天さんがつくった『石川小唄』は特に有名です。
製糖用窯跡の実物台展示
当博物館の展示の魅力の一つとして、製糖用窯跡の実物台展示があります。
細部までしっかり復元されていて、上部から内部の様子を覗くこともできますので、
ぜひ一度足を運んでその目で見てみて下さい。

宮森小学校ジェット機墜落事故
うるま市石川で、まるで戦時中を想起させるようなのような痛ましい事故が起きてしましました。
1959年6月30日、午前10時20分から始まるミルク給食の時間に嘉手納基地を飛び立ったF100Dジェット戦闘機が10時40分頃、校内西側に墜落。児童11名死亡、職員1名、児童165名負傷、3教室全焼、1教室破壊。付近住民6名死亡、被災54名。校舎の一部と幼稚園舎使用不能。
宮森小学校ジェット機墜落事故関係略年表より
当博物館では、当時の写真や新聞記事、略年表などで事故原因やその後の対応などをより詳しく学ぶことができます。


学び舎で、突然未来を奪われた子どもたち、突然友達を失った子どもたち、
そんなことを考えていると胸が張り裂けるような思いがしました。
博物館を出たあと、宮森小学校へ向かい平和の鐘の塔の前で手を合わせてきました。


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